電話で思い出話をしました。
先日 信州の友達からラインがきてから 急に懐かしさを覚えて電話を
しました。
電話にでると何故かお互いに笑い声から話をしだすのが面白いと感じます。
今回は霧ケ峰の思い出話です。
初めて中学生になっての夏 地元の中学校では中学1年生は霧ケ峰のキャンプ
2年生では駒ヶ岳(西駒ケ岳)木曽駒ケ岳ともいわれています。
のちにここは何回も登ったしスキ—にも来ているのですがどうしてもその後の霧ケ峰は
余り覚えて居なくて中学生の時は初めてなのか良く覚えています。
随分下の方から登ってきて車山の頂上でもっていったおにぎりを食べました。
そのころは今のようにお店も別荘もなく何もなくて静かでした。
マツムシソウが風に揺れて何だか寂しげでした。
そのあと強清水の山小屋へ行き部屋きめをして先生が森の方へいって
焚き木を拾ってくるようにいわれ てんでに燃えそうな落ちた枝などを拾って
きてキャンプファイヤーの準備をしました。
こんなところでも校歌などを歌ったりして学校思いでした。
翌日はグライダ―を飛ばす忘れじの丘へ登って富士山を眺める事が
できて感激しました。
鷲ヶ峰登山
忘れじの丘からおりてきて七島八島の湿原地帯へ行きふかふかしたスポンジみたいな
草地へ入りました。
今は絶対に侵入は禁じられておりますが..
その後霧ケ峰の最高峰の鷲ヶ峰に登りました。
結構急な坂でしたが脱落者もいなくて楽しく登る事が出来ました。
尾根を歩いた気がします。
そして降りてきましたら和田峠にでました。トンネルがあって「このトンネルを抜けると
諏訪市ではないんだよ。」
トンネルの先は不思議な世界があるみたいな気がしたものです。
迎えのバスが来る前に先生が「この山から黒曜石がとれるんだよ。」
それをきいてみんな山へ駆け上って黒曜石を探しました。
黒いかけらみたいなものが沢山おちていて拾いました。
今だったらきっと入ってはいけないのでしょう。
のどかな良い時代でした。
帰り道は諏訪市の高台のかくま新田という場所を通りました。
その時先生がここは「山岳小説家の新田次郎の生まれた所ですよ。」
と教えられました。当時は中学1年生..ですが心に留め置きました。
黒曜石
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