終戦記念日


 辛い思いをくぐり抜けて

 本日は終戦記念日です。
今日本は新型コロナウイルスが日に日に増大していて又日本列島水害があちらこちらに
発生して大変な事になっております。

もう15年程前の事ですが郵便ポストに1冊の本が入っておりました。
それは私の叔母の旦那さん(義理の叔父)からのプレゼントでした。
長い事教育に携わってきてリタイヤしてから俳句作りをしてきまして
年賀状には年賀とともに俳句が添えられておりました。
お会いした時にその俳句がとても素晴らしいと伝えましたら句集を発行したので
早速私の所まで送って下さったのです。

戦争も末期の頃叔父はフイリピンのルソン島山中で軍経理部の仕事をしていた。
日本内地からの補給路を完全に断たれ集積してあった食料も大方爆撃されてしまった
状況の中でこの山岳地帯に撤退を余儀無くされた我々にとっては日々の食料をどう確保
していくかが大問題であった。
この窮状を何とか救ってくれたのが原住民のイゴロット族の作ったカモテ(さつまいも)
を各部隊に割り当てられ爆撃の合間をぬってカモテ掘りが始まった。

こうしてカモテを葉っぱや茎などを煮て餓えをしのいだそうです。
塩は川の水に塩分が含まれていたのでそれを煮詰めて真っ黒な塩ができたそうです。
いよいよ食料も尽き果てた餓死寸前のところで米軍機から投下された落下傘ニュ-ス
によって終戦を知らされたそうです。

文章は長いので私が要約しました。
生きて帰る事が出来て本当に良かったし私の義理の叔父ということで長い繋がり
がありましたので..私もこの句集を頂いたときは胸が熱くなりました。

私の好きな俳句

 うたかたや妻の残せし柿すだれ (叔母が73歳で亡くなったのですが すだれのように
 干し柿を作っていたのでしょう)

 赤とんぼ乗って発車の無人駅 (叔父が作ったものとは知らずTVで放映され
 て良い俳句)と 記憶に残っていたように思います。
電車は違いますがイメ―ジです。

絶対にあってはならない戦争の悲劇

今でも世界には戦争がおこっています。
子供達まで犠牲になって殺されたり痛ましいことばかり..胸が痛みます。
76年前に起こった原爆の悲劇 忘れてはなりません。
今日本でも戦争ではないですが災害の多さ 水害 土砂崩れ コロナウイルスの感染爆発
怖いし痛ましいことだらけです。
こんなにいろいろ次から次へと惨事が重なってきますと..
これは内戦に匹敵するのではと思えてしまうのは私だけでしょうか?







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