木の好きな子供の頃
子供の頃は家の裏庭に色々な木々があったので専ら木登りをして遊んでいました。
友達を招いて木登りして木の枝の上で話をしたりして楽しかったです。
下から枝が出ている高野槙の木は登りやすくて格好の木でした。
柿の木は枝(木が脆い)ので折れやすいから登ることは禁じられておりました。
然し柿の実が色づいてきますとどうしても登りたくて仕方がないので目を盗んで
登って仕舞いました。
そんな時にも何故が親に見つかって大怒りされました。
グミの実がなるとやはり血が騒ぐのか登ってグミをもいだりしていました。
柿の木以外はとくに怒られることもなく過ごしておりました。
夏休みになると(信濃教育会)監修の夏休みというタイトルの本の様な
宿題がだされます。
算数 理科 社会 国語 すべての科目が入った優れものの本です。
木の下にゴザを敷いて宿題を眺めると社会の所に長野県の白地図があり
各市町村の人口をなんとマッチ棒のうらに朱肉を付けて1個が1000人単位で
マッチ棒の押印が多い程人口が多い事が一目で分かる事になるし
押印が面白くてしかも勉強にもなるのでこの勉強法を考えた人は頭が良い人と
思いつつ完成させました。
そんな思い出の木も現存しており実家に帰った折は懐かしく見上げております。
霧ケ峰 強清水付近
山の遊び
小さな頃 小学校低学年の頃は近くの山へ年長者(中学生 男子)や
その他大勢 飯盒(はんごう)水筒 などに 水を入れて途中で採ったキノコを
山の頂上で火を焚き(キノコ汁)を作って食べました。
山には(ゴムまりはじき)ナツハゼ と いうのが本当の名前らしい。
凄くすっぱいのですが.. 仲間どうしで「こっちが甘いよ。」なんて
言いながら楽しんでいました。
アケビのなっているところ 栗の実が落ちているところ ブドウの実が
取れるところすべて網羅していて山遊びはやめられませんでした。
心の中ではいつかこういう事もできなくなることは分っておりましたが..
山登り
今から何十年も昔のこと 季節は秋 近隣の山登りの仲間と一緒に夕方から登山決行をしました。夏沢峠をこえてオ―レン小屋に辿りついたのはすっかり真夜中でしたが
小屋のオ―ナ―さんは慣れて居るらしく暖かく迎え入れて下さいました。
食事を頂いてお風呂に浸かりました。
そのお風呂に木の札が下がっておりそこにこのような歌が書かれていました。
オ―レンの湯に浸りなば われ思う 遠い 昔の 母の面影
随分昔のことですが私はこの歌がいつも思い起こされ良い歌とずっと頭の中に残って
おります。 母親思いの優しい男の子なんでしょうか?
疲れて小屋に辿り着いて暖かく迎え入れて下さったオ―ナさんみたいです。
翌日外に出るとウ~寒い! 然し何とも言えない清涼感を感じました。
そして その後もちょこちょこと 山登りをするきっかけになりました。
その日は天狗岳に行ったと思います。
下山は奥蓼科 渋の湯に出ました。
記憶違いではないとは思いますけれど...
海の日 山の日 祭日になりました。気を付けて行動して下さいと注意を喚起して
いるのでしょうか?それとも日ごろのストレスを自然の場所で気分転換して下さい
という事なんでしょうか?
いずれにしても若者受けしているみたいですが 自然に親しんで下さいと祭日にして
いるのかもしれません。平和ですね。
前述の短歌は今でもそのままなのでしょうか?
ご存知の方は教えて下さい。
コメント