年を重ねる悲しみ

姉と私

 コロナ時代となってわたしの姉はとうとう施設にはいって仕舞った。
これは本人の意思ではなかったのですが色々な事情が重なって仕方なく.
先ず脳梗塞を患って軽い認知症となって自分の身の周りの事などできなくなって
残念ながら入所となりました。
本当は出来る事なら家族が面倒をみることが一番なのですが今の時代は本当に
生きにくいです。

そしてその中でお世話をお掛けしている方たちに感謝の言葉を現わして暮らさなければ
なりません。
コロナがとうとう3800人以上という事で国からは自粛を要請されておりますが
それでも外にでて買い物したりお茶をしたりできる身ですので有難いことです。
簡単なスマホから毎日のように電話が掛かってきます。
現状ではなかなか会う事ができませんがふと妙案を思いつきました。
「ねえ..春の小川の歌を一緒に歌おう。」

は~るの小川はサラサラゆくよ
き~いしの 菫やレンゲの花に..

また 夕焼け小焼けの歌も一緒に歌いました。
そうだわ 会えなくてもこういう心を繋ぐ方法があったのだわ!

少し嬉しそうな声が電話の先から聞こえてきました。
子供時代に還った一時を楽しみました。

この頃分かった事

 若い時は我儘でなかなか妥協しなかったような気が致します。
最近はそうだね と 思う事も増えてきました。
具体的にはこれって言えないのですけれど..
茹で卵の固さの好みはは人それぞれで考え方もそれぞれです。
ただ他人に不愉快になる事や行動は慎まなければいけないと思うようになってきました。
姉からの電話もできるならなるべく相手をしてあげたい..
娘たちはチョット閉口しているようですけれど...
「もう 私 先がないかも..。」
その言葉は禁句にしましょう..
誰でも心の声は聞こえてきますけど..












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